何を書くか。
学校行事や受験、就活といったわかりやすい目的があるときはいい。それでもいざ書くとなると、何を書けばよいやら途方に暮れることがある。
どんなテーマで書くにしろ、作文は結局自分のことを書くのだと思う。
なぜ書くか
何を書くかの前に、なぜ書くかを考えてみる。わたしの場合大きく二つある。
- 自分の思いや考えを言語化して整理する
- 誰かに何かを伝える
頭の中は言葉だけでなく言葉でないものも浮かんでは消える混沌とした世界。しかもたえず変化している。言葉にしてはじめて見えてくるものがある。ときに強い情動にかられて、ことばが暴発してしまうことがあるけれど、そういうのは考えなしの反射的な反応で、たいてい続かない。だからといって、通常自分が何をしたいのか、何に喜び、何を恐れているのか。そんなことをいちいち立ち止まって考えていない。よくわからない状態で何となく過ごしているというのが通常なのだ。
あ!とひらめいたアイデアを次の瞬間忘れてしまう。こういうことは誰にでもあることなのか、思いついたことをいつでも記録できるようにしているという話をよく聞く。書いてはじめて本当の自分をつかまえることができるのかもしれない。
自分のことしか書けない
読んだ本について書くにしろ、誰かの話を書くにしろ、いずれも自分を通して自分が書いている。だからそれは結局自分のことを書いているのと同じだと思う。つまりわたしは自分のことしか書けない。
先日ブックライターという仕事の本を読んだ。著者の代りに本を書く仕事で、著者になりきって書かねばならず、決して自分を出してはいけないという。プロはそういうこともできるのだと感心した。そのため著者にとことん取材をし、その著者らしさを引き出して書くそうだ。
わたしは作文教室で、その人らしい作文が書けるようなお手伝いをしたいと常々考えている。その人らしさが伝わってくるような具体的なエピソードを引き出したいと思うのだけれど、そうそううまくいかない。作文は個人的なできごとを書く。どこまで個人的なことをオープンにして表現するかは自分で決めなくてはいけない。そのさじ加減は書き続ける中で習得していくものだと思うものの、その人に合った実例をあげながらアドバイスできないのがもどかしい。けれどいかんせん相手を知る材料が少ないくて思うようにできない。ブックライターだったら気の利いたやり取りでその人らしいエピソードを引き出せるのだろうか。そういう技、わたしもほしい。
とはいえ相手は著名人でも何でもない一般人。大人でも子どもでもない思春期の中高生もいる。ただでさえ口数が少ないのに、あれこれたずねるのは気が引ける。だが相手もわざわざ時間を割いて参加してくれているのだ。何とかしてくれという期待がないわけでもあるまい。モニター越しとはいえ顔を合わせる沈黙の時間に何とも言えないプレッシャーを感じてしまう。あるブックライターの方は、口が重い人に対しては、ひたすら黙って待つとあった。時間が限られた中で、これは実際できそうでできない。わたしは話下手でもじもじしてしまい、たまたま待つ感じになってしまうことがある。それはそれで相手に圧力をかけていないかと心配になる。いたたまれずそわそわいそいそ画面を閉じるはめになる。プロのブックライターといえど、取材がきちんとできる人は少ないというが、人の話を聞くというのは想像以上に難しい。
話を引き出す技術というのがほんとにあるんだとしたらぜひ身につけたい。ただもしそんな技を知っていたら、わたしだったら誰にも教えないかも……。
作文は自己表現
そんなわけで作文は、自分のために、または自分を伝えるために書くという自己表現のひとつと考える。どんな作文にも自分が表れる。ふだんはいい加減でふわふわしていても困らないかもしれない。しかし、もし人生を戦略的に考えたいなら、作文は断然書けたほうがいいのである。
たとえば試験の作文を考えてみる。提出しても足切りに利用されるだけでろくに読まれない場合もあるという。それでも出さなければその関門は突破できないのだから書かない選択肢はない。まず足切りの多くは字数で決められる。だから求められた字数はかならず書くことが大事だ。この場合、内容がずれていようが中身がなかろうがとにかく書いていればクリアできる可能性が高い。とはいえ最近はAIでキーワードくらいはチェックされるかもしれない。ある程度まとまった字数の作文は、練習すれば書けるようになるが、書かなければ書けない。
次に作文を書くには、自分がどういう人かを知らねばならない。自分のことは自分が一番わかっていると思いがちだがそんなことはない。案外意気地がないとか、意外なものが苦手だとか、思いもよらないときに力を発揮するといった意外な一面が無数にあるものだ。そうしたことは具体的なできごとを書くことではじめて発見することが少なくない。周囲から言われて気づくこともある。こうしたエピソードのひとつひとつが作文の重要な素材になる。これがあればあるほど作文は書きやすくなる。
何を書くか。自分を書くということに尽きる。
