こんにちは。作文愛好家の小川さくと申します 。

通信制の作文教室にかかわったことをきっかけに、書くおもしろさに目覚め、書くことについてあれこれ考えるようになりました。

これまで幼稚園児から社会人まで、幅広い方々の作文を読みました。金子みすゞ氏いわく『みんな違ってみんないい』の世界そのものです。それぞれおもしろくて愉快になりました。せっかくこうして言葉を知り、文字を習ってこんなふうに書けるんだから「書かないのはもったいない! 」と思うようになりました。

はじめは書きたくない人は書かなくていいと思っていたのですが、書けるのに書かないのはやはりもったいない。作文には、思いや考えを整理し、気持ちを落ち着かせるすごい力があります。また周囲に伝えたいことを表現するのに、これほど優れたツールはないと思います。

わたしは人づきあいが苦手で話もうまくありません。その分作文にずいぶん助けられてきました。ブログを始めたときも、ひとりで教室を始めたときも、引っ込み思案で恥ずかしくて、どうしてもブログや教室の告知を積極的にすることができませんでした。それで仕方なく、ただひたすらブログを書き続けました。それしかできなかったからです。それで何とか道を開いてきたように思います。

作文は書き続けていれば、どんな人も上達します。だから教室では書き続けられるようなサポートをこころがけています。その人ならではのエピソードを引き出して、気楽に書いてもらうことをめざし、試行錯誤の日々です。

また、わたしの子どもは中一の二学期から不登校になり、発達障害と診断されました。どうすればいいのかわからず、毎日思い悩むばかりでした。日ごろから人づきあいが乏しく、話を聞いてもらう友人もいなかったわたしは、すっかり孤立してしまいそうになってました。「こんなこと、恥ずかしくて誰にも言えない」というかたくなな気持ちもあって、心の内を誰にも話すことができなかったのです。そのもやもやした気持ちをどうにかしたくて、やはり書きました。そうすることしかできなかったからです。そうしているうちに、どういうわけか「このままではいけない」と行動するようになっていました。といっても、相談窓口に出かけて行くぐらいのことです。うまく話せなかったり、思うように話を聞いてもらえなくて、がっかりして帰って来ては落ち込むこともたびたびでした。誰かに話をしたからといって、何にも状況は変わらないし、何も解決しません。そのことに憤りを感じることもありました。ところがあるとき、話を聞いてもらうだけで心が軽く穏やかになっている自分に気づいたのです。わたしはただ、誰かにこうして話を聞いてもらうだけでよかったんだと思いました。それまで誰かに話をしたところで、誰も助けてくれないし、何の役にも立たないと、ひとりふてくされていたところがありました。けどそれは間違いでした。今度は何をどう言おうか。そんなことを考えては書いて、出かけて行っては聞いてもらうことを繰り返しているうちに、いつの間にか気持ちの整理がついて、冷静でいられるようになっていきました。

そんな子どもも成長し、現在いろんな人の支えを受けながらどうにか社会人になることができています。

話が上手な人は、書かなくても頭の中でおそらくとっさに作文を考えているのではないかと思います。思いどおりに話すのはむずかしくても、書く作文はことばをマイペースに考えて選ぶことができます。せっかく文字が書けるのだから、どうせならこれからも書くことに助けられ書くを活かして生きていきたいと思います。